物作りについて

弊社社長実兄、宇田川静雄(1930年生)は1948年にキャノンカメラ(現キャノン)に入社以来、レンズ研磨を天職として各種レンズの研磨方法及び治工具(レンズホルダー)を開発し、

1959年 係長 一級レンズ研磨技能員
1972年 課長 国家技能検定委員
1974年 主幹研究員(光機事業)特殊硝子加工(副参事)

となりこの間後輩の指導育成を図り、又自らはアメリカへ行き、日本では行われてはいない特殊精密研磨方法の習得と、日本に無い特殊な副資材を得て来ました。

1980年 大阪大学レーザー核融合開発委員
      (硝子部品の開発)
      宇宙開発事業団の光学部品の開発

大阪大学をはじめとして、各研究機関にレーザー研究用の光学部品を製作、納入致しました。宇宙開発事業団より、1985年に打ち上げの測地衛星(あじさい)に搭載するコーナーキューブ(CCR)の製造依頼をキャノンが受け、いろいろな開発、検討がなされ、製造を担当しました。

角度、平面度等の測定は人体から発生する熱等により空気がゆらぐ等、大変困難な仕事でした。完成したCCRの取り付け、各種テストの実施の為、種子島に行き、1986年打ち上げの際の技術責任者として立ち会いました。

此の衛星(飛行年数50〜100年間)は現在4等星の明るさで宇宙軌道上を回り予想以上の精度により、例えば地震の際の土地のずれ、地軸の変動等1cm誤差で測定されています。
またハワイと日本との間が、毎年数十cmずつ
狭まっているのが観測されています。1993年キャノン退社時(定年延長3回)に大阪大学レーザー核融合センターより感謝状と記念品を頂きました。

この間にハワイ天文台設置の件も、(現)海部所長はじめ他の教授方と技術的な話しの会合をもち、本人の退職直後に話が決定された。
1994年より、国立電気通信大学レーザー新世代研究センターに勤務中で、後輩の指導にあたっています。

例えは良くないのですが、どんな名シェフの味でも死んだ時点で消滅してしまいますが、自分の製作した物が死後数十年間も宇宙を駆け巡る、此れが物作りの誇りですがこれは本人が自慢すべき事ではなく、第三者が評価をしてくれています。

弊社社長も日本で初開発の各種光学用機械、治工具(レンズホルダー)を開発し、
現在は日本を始め海外各地でコストダウン、量産化に無くてはならない機械、治工具(レンズホルダー)として利用されています。

もし物作りとして金儲けしたいなら、例えば人工関節(当時はセラミック製)の研磨方法、研磨機を日本で初めて開発しましたのでパテントを取得すればそれなりのお金は入ったと思いますが、老年の方々が腰の間接が悪くなり歩行困難な時、人工関節を取り付け歩行可能となり、また交通事故などで膝の関節が駄目になり本来は歩行不能となるところを人工関節の取り付けにより歩行可能となった多くの人々を見てパテントを取らず、その分安く装着できて良かったなと思っております。
毎日、アフリカでエイズにより高いパテント料の薬が買えずに多数の死者が出ている時、物作りとして大きな疑問を持たざるを得ません。

若い人達が
社会に奉仕する、自分が作ったものに誇りの持てる物作りになる人が一人でも多く出てきてくれる事を心より期待しております。又、人生いつでも夢を持ちましょう。誇大妄想的な夢ではなく、もう少しの努力で叶えられる夢を持ちその夢の実現に向かって、今から何をどのように努力をしたら夢の実現になるかを毎日考え、夢の実現が叶えられて良い物が出来上がった時の喜びを味わいましょう。
宇田川鐵工はそれらに必要とする技術のサポートを出来うる限り行っております。

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